ミリオンマムマーチ May 14 2000(MMM)に参加して 服部美恵子

1 マーチとステージ

息子のホストマザーだったHolley Haymakerに誘われ、参加をきめた。
1994年にサイレントマーチに参加したが、あの後、連邦規模の集会には出ていないので、銃規制運動の現状を肌で感じることが出来るいい機会に思われた。また民事裁判で得た賠償金で設立した基金「Yoshi's Gift賞基金」の今後の預け先に心積もりしているBell Campaignも、MMMのオーガナイザーの1つと聞き、そのpresidentに会い、基金の移動先を決めるのも、もう1つの目的だった。

抗議集会は2部構成になっていた。


1)11:00〜11:30  マーチでの抗議集会
 

 議事堂とワシントンモニュメントにはさまれた、ナショナルモールを、ワシントンモニュメントを背にして議事堂の方へ練り歩く。ナショナルモールの中ほどに大きなステージが用意してありそこまで、歩いてステージでの抗議集会に移る。お母さん達だけでなく、あらゆる世代の男女が集まっていた。ベビーカーの赤ちゃんまでいる。子供のためのトークショウで有名なロージーオドネルさんが現われ握手ぜめにあっている。また女優かとみまがうような美しい女性が握手してまわっていて、私も握手した。Holleyが「ゴア副大統領夫人だよ。」と教えてくれた。映画「依頼人」の弁護士役スーザンサランドンさんの姿も有った。「友人の家で銃が暴発して息子は死んだ。」「強盗に子供が殺られた。」「ホテルで隣の部屋の人が誤って撃った銃弾にあたって父は死にました。」「25年前に銃で子供を亡くしました。いまでも忘れられません。」いろいろな人が関わっている。

 プラカードには銃の登録制、ライセンス制を訴えるもの、NRAの批判、「freedom from gun trauma」と書かれたBell Campaign メンバーのものなどさまざまだ。中には「Mom,why don't you take me to the zoo?」とワシントンDCの動物園でおきた発砲事件のことをメッセージにしているものもある。「動物園さえこの国では危なくて行かせることが出来ないのよ。」と不安そうなお母さんの声がそのままである。

 私もMillion Mom Marchと書かれたプラカードをホストファミリーのHolleyやDickや他の人達と一緒に掲げて歩いた。異国の地で、悔しい思いをして死んでいったであろう息子のことが、突然胸の奥から突き上げてきて、涙がとまらず、Holleyに肩を抱かれ泣きながら歩いた。同じようにニューヨークやロスアンジェルスで息子さんを亡くされた、砂田さん松浦さん伊藤さんの思いもまた同じであろうと思った。日常の忙しさに紛れて悲しみは胸の奥深くしまいこんでしまっているけれど、生涯消えることなどありえない。

2)11:30〜16:00 ステージでの抗議集会
 

 マーチが終わりナショナルモールの中央にすえつけられたステージでMillion Mom March Programがはじまった。前面に巨大なスクリーンが2台すえつけられていた。ステージの様子や銃の犠牲者の写真が映し出されるのだと聞いた。ロージーオドネルさんの総合司会だ。残念ながら、舞台のバックにいる私には、声だけでしか様子が判断できないし、頼まれていたスピーチが何十万と集まっている人達の前で、英語でちゃんと伝えることが出来るかどうか心配になってきてメモに何度も目を通す。4年前、ニューヨークの地下鉄乱射事件で御主人をなくされ、息子さんは重傷、その後強力な銃規制を求めて選挙に立候補、下院議員になられたキャサリーンマッカーシーさん、ロバートケネデイの娘さんなど銃で家族を亡くした家族のうち政治家がメッセージを送るコーナーがあった。子供達のコーラス、ゴスペル、アメリカ国歌なども続いた。
銃を溶かして作ったベルが紹介された。銃社会に警鐘をならし、傷ついた人々の心を癒す象徴とするものだ。
 

 Moms Talkのコーナーで12時30分ごろから他の7人のお母さんと一緒に、私も舞台に上がった。スピーカーには未来のお母さんもいた。2〜3分ほどの持ち時間だ。前面にテレビ局のカメラがまわり、新聞記者やカメラマンがあちこち動き回っていた。何十万人とも想像がつかない程の人が集まっていて、お母さんたちの発言にあたたかい拍手を送っていた。スピーチの中で大きなアクションでアジる人もいて「ウウム、さすがアメリカ女性」と思ってしまった。私はスピーチの中で、1993年に、強力な銃規制を求める日本からの署名170万人分をクリントン大統領にお渡ししたこと、その後民事裁判の賠償金で「Yoshi's Gift 賞基金」を設立し、NRAに対抗できるような銃規制団体が育っていくよう支援しつづけていること、この7年半、多くのアメリカ人の支えがあって活動をつづけてきたが、とりわけホストファミリーのHeymaker夫妻が「Always with you」と励ましいつも支えてくださったこと、そしてこれからもアメリカの良心たるべき人達を日本から支援していくとしてスピーチを結んだ。(スピーチ英文後記参照) あたたかい拍手がおこって、嬉しかった。
後で聞いたところによると、私がスピーチしていたところと、サンフランシスコ湾をバックにした息子の写真が2つの巨大スクリーンにうつしだされていたそうだ。

2 Million Mom Marchに参加して

1) 寄付金が180万ドルにも上ったと聞いている。ダノンヨーグルト社は15万ドル寄付している。それだけこのイベントに関しては関心と期待が大きいことを示している。11月の選挙をにらんでのことだろう。

2) この企画はミリオンマムマーチのDonna Thomasesさんが考え、Bell Campaign、CSGV 、HCIなどの銃規制団体が密接に関わって盛り上げ、実現できたものであることに、とても意味がある。一致団結すればNRAにも対抗出来るかもしれない。

3)何よりごく普通の人達がワシントンDCだけでも70万人以上も集り、銃規制に支援の声をあげたことは、銃社会を変えうるおおきな力になるし,秋の選挙やこれからの政策に影響大であるとHaymaker氏がいっていた。子供を思う母親の心に訴えかけたこと現実に多くの事件が次々とおきていることで、普通の人達がうごきだしたのだろう。

4)Bell Campaign、CSGV、 HCI、 Million Mom March、 STPGVの5団体連名で銃の登録制とライセンス制の法制化の必要を説く小冊子を発行して、人々に配布しており、お母さん達のスピーチにも具体的にそれを実現していこうという発言があった。

上記のことからこの抗議集会は、非常に意味がある歴史的なものであったし、銃社会が変わりつつあることを肌で感じさせるものであった。Haymaker氏によればこの参加者の多さはベトナム反戦デモ以来だという。1994年にサイレントマーチという年間の銃犠牲者数の靴を、全米から集める抗議集会が有ったが、そのときは、運動に関わっている関係者の集会というイメージがあり、普通の人達の姿がさほど見えなかった。潜在的な銃規制支援者を引っ張り出してみせたことが、このイベントの一番の成功点だと思う。
間違いなくこのミリオンマムマーチは、米国の銃規制のターニングポイントだ。米国銃社会が変わりつつあることを信じて、今後も草の根団体の支援を続け、ストップガンキャラバン隊やYOSHIの会メンバーと、「銃社会よ変われ。」の声を日本から発信しつづけていきたい。

(MMMでのスピーチ)
Nice to meet you. I'm Mieko Hattori. My son Yoshihiro Hattori, 16 years old,
an exchange student was killed by Magnum 44 in Louisiana 7.5 years ago
because he went to the wrong house on the way to a Halloween party .

In 1993, the Haymaker, Yoshihiro's host family and my family met the
President Clinton and handed 1.7 million petition from Japan and 250,000
petition from America asking tougher gun control in America.

1n 1996 we created Yoshi's Gift Foundation from the compensation of civil
case. Yoshi's Gift Foundation's main purpose is to give financial support to
Gun Control Groups here in America. We hope with the help of Yoshi's Gift, many gun control groups will grow and become stronger groups against NRA, National Rifle Association.

After my son's death, many Americans supported us so that my son's life
isn't in vain. Especially the Haymakers, Yoshi's host families have been
always with us. Without them my families could not overcome the trauma and go on our activities. All of these supportive people to us are the real
conscience in America.

We Japanese stand by Americans like you and will keep on supporting you from Japan.

Thank you very much.